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明石家さんまのご長寿なんたらみたいな番組ありますよね。あれの、 おじいちゃんおばあちゃんが、かつての自分にメッセージ送るやつ好きなんですけど、 あれみたいな気分で日記を書いてます。投稿してから3日間は校正期間。

パンが焼けるまで待つ

 

 

 

さて、年が開けました。

卯年です。

 

私は酉年。娘もお揃い。それで、娘の名前には鳥を意味する漢字が入っています。少し難しいんだけど、美しいです。素直に、自由に飛んでいってね。無邪気に遊ぶように、それでいて、決して自分を見失わないように。そういえば私の名前はtreeだ。

 

 

母が年女。あれ、今年48歳になるの?思ったより、いってるね。彼女は「子供が30になるとか無理すぎ」みたいなこと言ってたけどお互い様だよ。

 

年末年始は実家に帰ってゆっくりしました。私が実家と呼ぶのは母の家ではなく、祖父母の家です。家族との会話では、「ちゃーちゃん家」と呼びます。祖母や母親のことをちゃーちゃんと呼ぶのは、方言のようなものだと思うけど、限られた地域ではなく、全国的に見られるそう。

 

私にとって、あの家は祖母の家なんだけれど、我が子はそこを、「じーちゃん家」と言う。面白いなあと思う。彼女の語りで、あの家を新しく知りたい。

 

母は17歳で私を産んで、かつ父親の方はあんまりいい奴ではなかったので、私は「実家」の子供たち3兄弟、母親の兄と弟に加わって、4番目の子のように育った。私には父親の異なる12歳年下の妹がいて、母親以上に似ている9歳年上の叔父がいる。ステレオタイプの家族構成とはちょっと違っていて、その形の特殊さも、私を作る一つの要素になったと思う。

 

結婚式のビデオレターで祖父母が「4番目の子」という言葉を使っていて、その愛に感謝すると共に、納得したのを覚えている。祖父が「幸せにならないと、許しません」と言っていた。こういう言葉遣いは、私が引き継いでいる。あなたの想定していた幸せとは違うかも知れませんが、私今それなりに幸せなので、許してくださいね。あなたのことが大好きな可愛い女の子と毎日くっついて眠っています。

 

なんの話だっけ。

 

そう、ゆっくりしてきました。

 

祖母とは子供の頃からよくぶつかるのだけど、だんだん私が大人になり、多分彼女は丸くなり、時々はお互いのリスペクトを素直に伝え合い、軽くささくれ立っても「愛し愛され認知」のパワーによって、上手にすり抜けることができるようになった。

 

気が合わねえんだよなあ、と思っていたし、未だ半ば思うのだけど、結局似たもの同士なのだ。好きなものがよく似ているし、そのこと自体を、お互いかなり気に入っている。強烈なペイズリー愛も、祖母から継いだもので(多分祖父も好きなんだよな)今回はペイズリー柄コーデュロイのジャケットを頂いてきた。

 

「死んだらちゃーちゃんのものは何もかも私に頂戴ね!」と念押ししている。言いすぎているけど、長生きしてね。皿も服も花瓶もミシンも本も調理器具もハサミも全部、頂戴ね。もちろんブラックパールもね。私が4人の中で1番頭身は遠いけど、私が1番喜ぶと思う。そう思わない?絶対頂戴ね。

 

我が家のお節は、毎年祖母が手製で用意するのだけど、誰もそれを習ってないような気がするから、来年はノート片手に頑張ろう。いつかいきなりあれじゃ無くなってしまったら、みんな悲しいと思う。何人か泣いちゃうかも知れない。彼女のお料理ソウルを最も濃く受け継いでいるのも私であろう、自信があるから、責任持って継いでおく。

 

何事も守破離。いつかは私のお節も作りたいなぁ、と思う。彼女のお節が彼女のオリジナルであったようにね。

 

昨年、祖父は病気をして、ろくにご飯も食べれなくなったのだけど、モリモリ食べられるようになっていたから安心。ちょうどよく痩せて、必要以上でもなくて、寧ろかっこよくなっていた。

 

自宅に帰ってきた次の日に、氏神様にお参りをしに行った。子供に着物を着せ、お焚き上げの品を集めていた時、「ことしのおねがい、なににしようかなあ。あっ、まえにしたおねがい、かなっちゃったね。」なんて言い出すから、なんだったっけかな、と聞いてみると、「じいちゃんがげんきになりますように、って。すずみがおいのりしたから、かなったんだね!」だと。

 

そういえば、祖父の病気がわかってから、神社仏閣どこへ行っても、街の合間にあるような小さな杜にも、手を合わせて祖父の健康をおねがいしていたのだった。あなたみたいな可愛こチャンにお願いされたら、叶えてやるしかないもんね。ありがとうね。

 

実家から帰る日、電車を待つホームで口角を下げに下げて目はトロトロにしていた子。私が、線路を挟んで向こう側、改札からロータリーに降りていくエスカレーターの窓に手を振る祖父を見つけて、必死に「見て!窓!じいちゃん!見える!?窓!あっち!!」なんて急かすから、二人ともドキドキして、泣けてきてしまって、「ママも泣いてるじゃん」と言われたな。

 

「死にたいとまでは言わないけど、生まれてこなくてもよかったな」なんて、思うことがあったりしたけど、家族との時間を惜しみ出すようになって、いよいよ、私の生にも価値を感じざるを得なくなった。私の命あっての、彼らとの時間だからね。母へ、ありがとう。

 

今年の抱負ってやつを書こうと思って、iPadを開いたんです。話が長い。

 

言ってる側から、去年の抱負の話します。手短に。ええと、一昨年と去年は「散財」です。友人の一人に「地獄かよ」と言われました。わかりません。お金を使うのが不得意なので、使うことに慣れようと思い、実行し、遂行しました。で、完全に貧乏の入り口まで来たので、打ち切りです。終わり。

 

今年の抱負は「パンが焼けるまで待つ」です。

 

祖父母への愛を語っていたら、指先まですっかり冷えました。寝ます。