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明石家さんまのご長寿なんたらみたいな番組ありますよね。あれの、 おじいちゃんおばあちゃんが、かつての自分にメッセージ送るやつ好きなんですけど、 あれみたいな気分で日記を書いてます。投稿してから3日間は校正期間。

ほうれん草

ほうれん草が好きだな。

カレーに入っているほうれん草、

蕎麦に入っているほうれん草、

ラーメンに入っているほうれん草、

お浸し、お味噌汁、ナムル、なんでも美味しいな。

 

鉄分が豊富です。

シャキッとは違う、ミシッとした食感が好き。

 

私はビールのことを、甘くもなく辛くもないジンジャーエールだと思っていて、

ジンジャーエールのことをもう少し甘くなくて、でも辛すぎもしない、もう少しだけ平たい炭酸であってほしい、絶妙に惜しい飲み物だと思っている)

その微かな電流のような苦味がただ好きなんだけど、

 

ほうれん草にもそれと同じようなものを感じるね。

 

家で酢豚を作ったりすると、ノンアルコールでいいから(味なんてわかんない、ちょうど良い電流が流れればいい)ビールが飲みたいな、なくてもいいけど、あったらもっと楽しいな、と思う。

 

蕎麦にはネギを切って乗せりゃあいいし、半茹での卵を乗せりゃあ100点なんだけど、ここにほうれん草があったらもっと楽しいな、と思う。なくても良いのにね。

 

 

 

 

必死

 

 

頭が悪いのならせめてお金持ちの家に生まれたかったな、要領が悪いのならせめて可愛い可愛いと言われる顔に生まれたかったな、などと思うね。

 

人のことを立派に僻めるほど不幸なわけではないんだけど。

 

お金持ちのお嬢さんも彼女たちなりの、可愛い顔の女性も彼女たちなりの不幸があるだろうね。

 

必死で頑張ってなんかないよ、だって必死で生きて幸せなわけないんだから。

 

必死なお母さんになりたいわけじゃないよ。必死でよいならむしろ楽だよ。踏み外して過労死しても、精神やって入院してもいいのなら気楽だね。

 

子供との時間、できるだけニコニコ過ごせて、かつできるだけ不自由させないだけの労働をする。

 

1番効率よく、お金を稼ぐ。ストレスを溜めすぎない方法で、体力を残せる方法で、私自身を傷つけず、己の倫理に反さないもので、子供に尊敬され、友達に嫌われず、親をがっかりさせず、近所の人に迷惑をかけず、人の生死になるべく直接的に関わらず、稼ぐ。

 

最適解はなにか。

 

頭を使って生きる。高いお金を出して小さな食洗機を買う。ルンバを買う。私が考えて、決定して、お金を出す。

 

栄養を知る。責任を持つ。

本を読む。選んで、与える。

身なりを整える。文句を言われないために。

お洒落が好きだということにする。

自分を納得させて過ごす。

 

できないことをできるようにする。

人より時間やお金がかかっても、改善策を見つける。

 

できないことを諦める。

諦めることに関して、考える。

取り決める。答えを探す。納得をする。

 

沢山のお金か、美貌があったらね、この頭でももう少しマシだったんじゃないかな。

 

とても疲れた。

 

子供はとても可愛い。

子供のために生きているわけではない。

烏滸がましい。失礼である。

 

全うしなくてはならない。

平気じゃない。疲れたとっても。

 

 

 

ガリガリくん

 

 

歯医者に「炭水化物をとらなくちゃね」と言われた。

朝ごはんにお餅を食べました。お餅のストックはきらさない。いつも1番重たい袋のやつを買う。

 

子供を寝かしつけてお腹がすけば、チーズをたっぷり乗せて焼く。

 

痩せすぎとのこと、知っている。

 

BMI17をきると、いよいよ他人から指摘される。面白いことに16をきると何も言われなくなる。

 

でも私こういう生物です。母の個体もそうです。

 

2人とも医者にかかります。

わざわざ病院に行って、金を払って、「太りたいです。」と言って、「そうですよ、太る必要がありますよ、数値がこうです。ケトン体がこうです。」と言われて、経腸栄養剤を24缶処方される。場合によっては倍。一箱6kg。冬には悲しくなるし、夏には苛立つ。

 

歯医者が、「食トレをしないとね」って。解決できるのなら教えて欲しいと思ったけど、

「ラーメンにライスを頼むとかさ、いつもお腹いっぱいに食べるとか」

 

やってるっつうんだよ。

 

痩せたら可愛いなんて思ってないんだよ。

ママは写真を撮る時、ほっぺをちょっと膨らますと言っていた。

 

ちょっとぽっちゃりしてるのが可愛いよ、私は作画が違うから仕方ないじゃん。

この作画の中では可愛らしい方だから、私は自分でそう思うようにしてるから、流石に歯医者はほっといてほしいよ。

 

太ってる人ほど、私のこと痩せすぎなどと言う。

 

中学生の頃、体の大きい子から「そんなじゃ男にモテないよ、ペチャパイ」と言われた。

そのままプールに沈めて、浮いてきたと思ったら顔が真っ青だった。大袈裟な、と思った。それ以外に何も思わなかった。

ママと家まで謝りに行った。私たちはガリガリで、その子とその親は随分と大きかった。

 

別にモテたくて生きてるわけじゃない。もしそうであれば人の頭を水にねじ込むより、顔を伏せて「ひどい」と泣いただろう。

 

男の子からも女の子からも人気者の彼と付き合ったし、やんちゃで先輩後輩問わずちやほやされてた男の子も泊まりに来ては私の部屋のベランダに閉め出されて朝まで過ごしていたよ。

 

彼らの大本命、ダントツ1番人気の女の子の好きな人が彼らじゃなかった上に、おそらくクラスで1番早くエッチさせてくれそうなのが私、だったからなんだけど。

 

どっちみち、エッチさせてくれそう、で構われるんだから、あの子の言ったこと、的外れじゃん。

 

私の体を揶揄したわりに、うまいこといってるようには見えなかったけどね。

 

アイスを奢るよと言って、男子をセブンイレブンに連れ込むの、馬鹿みたいと思って見てたよ。

 

瞬きでもセリフでも、そのおっぱいでもなく、親の稼いだ金で買ったガリガリくんで、男の子を引き寄せるの、馬鹿みたい。

 

私たちみんな魚なら良かったね。

下手なこと言わないで済んだね。

沈めることも青ざめる事もないね。

 

求愛行動はどちらも下手そうだから、

メス通しで噛みつき合う前にサクッと淘汰されようや。

 

あと歯医者は黙っておけ。

 

 

 

 

スーパースペシャル

 

1年生

初めての担任は、丸い輪郭に大きな丸いメガネの、タレ目の印象のそのままに、優しい女性だった。その当時は、オバアサンだと思っていたけれど、実際のところオバサン程度だったと思う。

 

ダジャレが好きで、調子に乗りすぎた男子の頭をニコニコ笑いながらパーンと叩き、誰もグレようがなかった。ほやほや小学生特有のウザだるい絡みをしても、歌うように「知りません円二千円」と言って無視するだけで、全く困ったそぶりもしない、ベテランだった。

 

愛されている、と感じた。とっても。あんまり彼女と話した記憶まではないのだけど、手が分厚くて、暖かかった気がする。私を後ろから抱きしめてくれたことがあったと、思う、なんとなく。「あなたは困った子だね」という態度を隠さず、それでも「可愛い可愛い」と、そんな顔をしてくれている、記憶がある。私はそういう風に接してくれる人が今でもずっと好きである。ぶりっ子のような要領で、必要以上にダメぶってしまうことがある。正面から可愛がられるタイプではないのだから、許してくれたら良い。羊水の中のような心地の先生だった。

 

2年生 3年生

学校の記憶はほとんどない。

一階の廊下で女性の先生に、「あなた、アンニュイね」と言われたことだけ覚えてる。帰って、辞書で調べた。「アンニュイもなにも、わたし、疲れてる」と思った。1年生の時も、ため息ばかりついていることを注意されて、「幸せが逃げるわよ!」と言われるたびに、「まさにそのセリフが嫌」だった。

 

学童に行っていた。小学校から学童への帰り道は、私とKくんとYくんの3人で歩いた。

後ろの校門を出て、左手に進む。学校の敷地と、それに並行して作られたトンネルとの間の小径。派手な花や木などなく、ひたすらに季節の雑草が茂る。蝶々が舞い、バッタが飛んでいる。

低いコンクリート塀が続くので、私たちは乗ったり降りたりして進む。

春、紋白蝶が遊んでいたので、私はいつもの2人に「蝶を捕まえて。早い方の勝ちね。」と威張った。

Kくんのことも、Yくんのことも好きだった。当時の好きがどのような色なのかはわからない。でもその時「先に捕まえた方のことを、もっと好きになるだろうな」と考えたのを覚えている。

Yくんがすぐに捕まえた。Kくんはヤンチャっぽいけれど、穏やかでもあった。意地になって勝とうというタイプではなかった。

Yくんが目の前にやってきて、「はい」と、重ねていた手のひらの上側をそっと開いた。

確かにそこに目当ての蝶はいたけれど、羽は引き攣り、彼の手相は鱗粉で真っ白になっていて、とにかく、静かに、酷かった。「いらない」とだけ言って先に歩き出したけど、ひんやりとして、本当は走り去りたかった。

Yくんは男まさりで、ちょっと悪ぶったところがあったけど、繊細で優しい奴だったので、きっともっと怖かっただろうね。ごめんね。

授業でYくんが書いた、お母さんの足がぶっとい、というような詩、他の子の書いたどの詩よりも、ダントツで好きだった。添られた母の絵も好きだった。賞を獲ったのは、私。

 

トンネルをくぐった少し先、学童の手前に、枇杷のなる家があって、よじ登って盗み食いした話、書いたっけ。3人で。しっかり怒られて、その後枇杷のお土産をもらった。あれ以上に美味しい枇杷を食べたことがない。重たく膨らんで、かじるとびしゃびしゃ汁が垂れた。おじいさんだったか、おばあさんだったか。もしかして、もう生きていないのかもしれない。枇杷がおいしかったです。20年以上経っても忘れられない。ありがとう。

 

学童で1番大好きだった、くみ先生を思い出す。ふっくらとしていて暖かくて、目は頬に向かって落ちるわずかな切り込みだった。千と千尋の神隠しの、「いつも何度でも」の簡単な弾き方を教えてくれて、問題児の私のワガママにニコニコと付き合ってくれる仏のような若い女性。2年生の時、いつもの癇癪で、キッチンの包丁を自分の胸に突きつけて「これで私が死んだらくみちゃんのせいだからね、くみちゃんのせいで死ぬんだよ!」と大声をあげた。

先生は泣いて、確か数日のうちにいなくなってしまった。もう重たい私を、せがんだらせがんだだけおんぶしてくれた。いつもケミストリーを歌ってとリクエストして、背中越しに聴いていた。声が綺麗だった。

大好きだったのに、ごめんなさい。

私の居場所も当たり前に無くなって、学童をやめて家でママを待つのは寂しかったです。とても良くしてくれたのに。でもとても良い人だから、私のような馬鹿以外からはちゃんとお返しをもらって幸せになっているといい。それが必然であろう。私のことを忘れていますように。

 

学童は、たしか3年生になる前までには辞めてしまった。学童の子は時々裏山や学校まで遊びに出かけるのだけど、私がちょっと出かけた日、楽しみにしていたおやつのスイートポテトが「残り物じゃんけん」で片付けられていて、「もう辞めてやろう」と決めたのだった。今考えてみれば、そりゃあ、「さきちゃんの分じゃない?」などと、誰かが言うわけない。当時も、ふわっとそんなことを実感したのかもしれない。その日のおやつがスイートポテトだったから、だと思い込んでたけど、寂しかったのかもしれない。

 

Kくんは私より長く学童にいたと思うけど、、途中からヤンチャっぽさがなくなって、笑顔も減って、つまらない男の子になってしまった。それが寂しくて、寂しくたってどうしたら良いのかまだわからなくて、苛立って、毛布にくるまり抵抗せず黙る彼に向かって何度もボールを投げつけたりした。

彼の弟が毛布の塊の前で大の字に立ち塞がって、「やめてよ!!!!」と泣いていた。色白で切長の目の兄と対照に、浅黒くて、目が大きく、涙と一緒にこぼれ落ちそうだった。それもこれも全部、ますます私を苛立たせて、混乱させて、逆効果だった。きっと当時、彼らの環境に何か、あったのだろう。言い訳がましいけど、私の環境も、安定したものではなかったから、そういう機微に鈍感だった。本当にごめんね。ごめんなさい。

 

 

4年生

涼しげでシャープな顔立ちの女性が担任になった。

途中でご懐妊。お腹が大きくなっていくのをクラスで見守った。もう生まれちゃうんではないか、こわくなる位の大きなお腹で、まだ教卓に立っていた。

その先生に、一度、蹴りをくらったことがある。くらって当然。物を盗んだんです。病気であんまり学校に来られなくなった子がいて、その子が先生にあげたお土産。オレンジ色の小さな巻き尺で、クリアオレンジのイルカのチャームがついていました。そんなものいらなかった。別に欲しくなかった。その子のことが羨ましくって、羨ましくて?わからない、どうしてか。とっても活発な女の子で、男の子にも女の子にも人気で、誰にでも優しくって、嫌味がなくて、私が時々話しかけたりしても、1番仲良しの子と話す調子と変わらずに返してくれた。

その年に亡くなりました。私は地獄に落ちるだろうね。地獄に落ちた方がいい、彼女と顔を合わせられないもの。ごめんなさい。どうして。それでもきっと彼女はまだ、私にだって優しい。優しい女の子、のままで、死んでしまったんだもの。どうして。

父母参観で、親子陶芸の授業があった時、我が家だけ誰も来れずに、先生とペアで作ることになった。とてもとても優しくしてくれた。後ろめたくて、嬉しくて、難しかった。開いた新聞紙の前に横並びで座って、ずっと、生きた心地がしなかった。

 

 

5年生

目のぎょろっとした艶々油っぽい、派手な顔の男性が担任になった。

顔の通りに、声も大きく、文字も大きい。きっと性善説を信じているような、人です。

新しいクラスになってしばらくして、係決めをすることになった。先生は、黒板の右から縦書きで係りの名前を並べていき、その最後に「前澤はこの特別にこの係に任命する!!」と元気よく声を張り上げながら「SP係」と書いた。「スペシャル係とは、先生のお手伝い係だ。なんでも、先生の手伝いをしてもらう!」と言っていた。意味がわからない。

運動会の参加種目極めで、体育係から早々に「前澤は玉入れな!」と言われることはあったけど、係決めまで決め打ちされると思ってなかった。誰も反対はしなかった。

 

プリントを配ったり、ノートを集めたり、先生の肩を叩いたりした。やることはチョロかったし、もともと人と何かするのは苦手なので助かった。今思えば、私の発達の性質にいち早く気づき、考え、あくまで教室内で責任を取れる範疇で、支援してくれていたのでしょうね。

そうだとすると、ネーミングの「特別」というのは直接的すぎるがね。普通学級の中の、特別支援学級ならぬ特別支援生徒、のための、係。

 

名前を呼ばれることが多かった。こもらず広く響く、太く重い声、だが明るい。眉を上げて、まっすぐこちらを見て呼んでくる。強く、絶対的で、気持ちの良い先生。

サッカーの授業で、先生が思いっきり遠くを目指して蹴ったボールが、目の前に立っていた私の顔面にまっすぐブチ当たった時があって、その時だけ少し嫌いになった。幽霊になってしまったのかと思った。だって、目の前にいたのに。普通、先生の挙動を読んで、当たり前に避けれるような、ものだったのかな。年度の途中で、苗字が変わった。父親の違う妹が生まれた。彼が担任でよかった。気にかけてくれてありがとう。

 

割と仲の良かった女の子が3人いた。

お互いの家に遊びに行ってシールを交換したり、毎朝登校直後に開催される謎の朝マラソンを揃って走っていたりしていた。(TOKIOAMBITIOUS JAPAN!を繰り返し聴かされる、朝からうるせえよという気持ち、に、反して、ちょっとノって走れてしまう嫌さ

 

高学年になると女の子は狡さ卑怯さを身につけていく。

集まる時に誰か1人欠けたりなんかすると、「その子には秘密にしよう」だとか、「うちらだけでお揃いにしよう」だとか、そういうことを言い始める。なんのために?考えたくない、難しい。きっと生物学で片付くんでしょうね。必要な成長なのでしょう。私たちももれなく、そうだった。

 

お友達がいた、といっても私はずっと陰気な人間だから、小学生の頃から学生生活が終わるまで一貫して、学校が終われば基本直帰し、手も洗わずベッドに上がり、天井のひじきみたいな柄を眺めながら、母が帰るまでひたすら思考する、そういう夕方を過ごしていた。

 

ある夕方、西陽が強かったので、きっと夏のこと。ベッドの中でふと気づいた。

あぁ、あの子がいないときはあの子の悪口、その子がいないときはその子の悪口を言うってことは、私がいないときは3人揃って私の事散々言うんだ。

みんなそれでも平気なんだ、次の朝になってニコニコするのね。対して嫌いでもないのに悪口言って喜んで、対して私のことも好きでもないのに一緒にいるんだ。私それ、耐えられないな。

 

それで、日が暮れる前に決心して、翌日、謎の朝マラソンで集まった3人に言った。

「もう私のこと、友達だって思わなくて良いよ。もう遊んだりしない。」

(関係ない話だけど、今日あみちゃんと電話したら、あ、あみちゃんね、生きてたよ。私のこと、良いところは見た目だって、性格で評価などつくことないって言ってた、「気難しいじゃん」って言ってた。嬉しいな。鼻が可愛いって言ってた。私のこと愛しているらしい。やっぱりこういうひとが好きなんだよね、私は。)

 

当たり前に、抵抗などされずに、あっさりと「お友達」が終わった。

あんまり困らなかった。体育のペア組みだって、口下手な子とか、体型がはみ出す子とか、いくらでも残っているもの。もちろんその「はみ出し組」にも知恵はあって、彼らは彼らなりに組合を持っていたりするから、それさえ苦手な私は、生徒数が奇数の日は先生とキャッチボールをすることになった。別にいい。私は何をやっても下手なんだから、先生と組んでおいた方が自分のためにも周りのためにもなるのだ。

修学旅行のグループ決めは、保育園から一緒の学級委員の男の子が「一緒のグループで良いよな」と加えてくれたんです。ちゃんと、余る前に、余って私が目を泳がすようなことがないように、すぐに、加えてくれました。ありがとう。

 

 

6年生

の時の担任は、目が切れ長で細くって、間延びした面長に、どえらいインパクトのたらこ唇。嫌なやつだった。

 

彼は私のことが大嫌いだった。私が彼を嫌うよりもずっと前からである。そしてその熱量も遥かに彼の方が高かった。私の全てが嫌だったんだろう。

 

ある日夕方の準備教室に1人呼ばれて、「お前、なんでクラスメイトから下の名前で呼ばれないか分かるか?みんなお前のことが怖いんだよ。友達だと思ってない。」と言われた。たらこ唇が揺れていた。

 

そうなんだ、と思った。怖いんだ、私は、まあそうなのかもしれないな、と思った。驚かなかった。そこまで明確に考えてみたことがなかっただけで、当たり前のような気がした。

心が萎むようなことも、膨らむようなこともなく、そのまましばらく過ごして、1ヶ月ほど経ってからなんの気無しに母に言ってみた。

「さきって、みんなから苗字で呼ばれるの、それ、嫌われてるかららしいよ。私は怖いんだって。先生が言ってた。」

「いや、さきってもう1人いるじゃん。そっちも苗字で呼ばれてるでしょ。ゆうすけだって2人いて、両方苗字呼びじゃん。」

 

その通りだった。

とはいえ、もうそれなりに長い時間、私はクラスメイト全員から嫌われている、と信じ込んでしまったから、(実際それはそれとして事実だったかもしれないが)前よりも多めにとったクラスメイトとの距離を、もう今更戻すようなことも出来なかった。

 

中学2年生の時の担任も、私のことが特別大嫌いだったけれど、何がそんなに悪かったんだろう。私は特別ダメな子供だったけど、先生という立場から、私を見せ物にしてやろうとか、傷つけてやろうとか、どうして思ったんだろう。

あぁ、何もかもダメなくせに可愛らしくもなく、媚びず、むしろ威張っていて、あんたのことなんか大嫌い、馬鹿みたい、という顔をしていたのかな。そうだろうな。

 

でも、子供のことを舐めたらいけない。先生達が贔屓していたあの子だって、決して先生のことが好きだったわけじゃないよ。嫌いだったと思う。だってあなた等は嫌な顔つきの男で、嫌な汗のかき方で、説教が長いから。怒るたびに唾が飛ぶとか、唇がプルプル震えるとか、休み時間にみんなみんな笑っていたよ。私はむしろ黙っていたよ。あの子、私より早熟で賢くて、生活が穏やかで、カッコの良いお父さんに、甘えるような可愛いお母さんまで持っていたから、上手に学んで先生に媚を売れただけだよ。

皮肉っぽく聞こえるかもしれないけど、彼女は可愛くて明るくて、感じが良かった。クラスメイトと程よい調子で悪口や陰口をいうこともできた。賢いのだ。私は賢さとは遠い星で生まれたので、賢い人間を尊敬する。

 

子供の頃の私は、どこにいたって誰といたって、人一倍迷惑をかけたけど、それで平気というわけではなかった。左利きだから、とか、片親だから、とか、色々と理由をつけて納得を試みたり、「人と違うことは格好の良いことだ」と独特な理屈をスローガンに掲げたりした。髪の毛を沢山抜いたりした。爪を齧ったり。先生の言う通りに誰も私のことを友達だと思っていなくても大丈夫、な訳ではなかった。先生には分からないことだろうが。

 

みんながドッヂボールをしている間、同様にはみ出したAくんとブランコに乗る。お互い、ちょっとだけ安心感が湧くとはいえ、半ば仕方なくそうしているだけだから、ほとんど会話はない。

彼が休んだ日には一人きり教室に残って、いきものがかりが面倒を見ている鉢植えや花瓶をひっそりと自分の机に運んで、ただ眺めて過ごす。

 

蝶のことも、Kくんのことも、くみちゃんのことも、スイートポテトのことも、オレンジの巻き尺のことも、シール交換も、先生とのキャッチボールも、全部嫌だった。全部自分が起こしたことで、それがもう最悪だった。

 

私も性善説を信じたい。やっぱり悪役には背景が必要だと思う。悪役の背負った過去まで、悪事と丸ごと葬るだけの覚悟を持つ、ヒーローであって欲しいじゃん。ヒーローの栄光の内側にも、それなりの苦しみや葛藤がちゃんとあって欲しい。

とはいえ私自身はむしろ、生まれつきダメで乱暴でだらしなかったのではないか。マシに生きるために苦労したけど、今更人に与えようとしても、とっくに地獄行き確定なのにな、とどこかで思って生きている。でも、シザーハンズのような手で、どうやって愛されろというんだろう。あんな小さな子供に。

 

小学校生活、クラスメイトを傷つけることはあっても、誰かにひどく傷つけられた記憶はない。

ただ、先生の言葉がずっと足首に絡まりつく。抱きしめられるような感覚を残してくれた人もいる。

 

大人になったかどうかは分からないけど、年はとった。子供ではなくなった。私の言うことや成すこと、人にどういう影響を与えるか、私も責任を持たなくてはならない。大変に恐ろしいことだ。

根本的に人間は変わらない。一生その類のセンスは持てないのかもしれない。

 

私の子供も、来年からランドセルを背負う。不器用に人を傷つけて苦しむことのないように、誰かをひどく傷つけないように、傷ついて帰ってきた時に私の手が暖かい柔らかいもので在れるように、気を配りたい。

 

そういえば、6年生の係決めでは「SSP係」に任命された。5年生の担任からの引き継ぎだろう。増えたSはスーパーのS。私はスーパースペシャルになった。

 

これはたらこ唇のネーミングなはずない。本当にありがとう。

 

 

 

 

 

愛は一方的なもの

 

 

祖母が「仲良しこよしという感じではないけど、仲は良いのよね。」と言った。

 

家族のこと。

皮肉やなタイプの彼女にとっては、殆ど惚気のような発言なのである。

 

私も、ちょうど良いなと思う。

 

「(長男)なんて、来る時以外は年に一度も連絡ないわよ。」

 

でも年に3回集まる時には山盛り手土産を持ってくる。

 

みんな祖父母家が好きである。

 

こちらの血筋に感じの良い人間はたったの一人もいないので、どうしたって「仲良しこよし」風にはならないのだけど、

 

というか、年末年始のテレビで芸能人と有志の一般人が力を合わせてケン玉100連チャン!というヤツを見ながら、その場の全員で「失敗しろ、、、、、!!!!」と願ったりする陰気さなので、

 

なるわけないんだけど、

 

その、一致団結した、感じの悪さが、私たち家族の色なのだなと、最近気づいた。

 

みんな少しずつ性格が悪い。

ニコニコと、あるいは真顔で悪態をつく。

 

それが心地よい。そういうところで育ったから、然。明るく陰気でアダムスファミリーのようだと思う。

 

我が子を含め、3人の子供たちよ、健やかであれ。私たち大人に健やかさを教える器量などないが。勝手にどうにかなさい。

 

 

2年くらい前までは、よく祖父が車で家から実家まで送り迎えをしてくれていた。

 

その最後の方、中野から出発して1/4来た位のところだったかな。

 

「わたしさ、ちょっとキツイ物言いとか、悪口とか、斜に構えたようなことをあえて言うと、周りがちょっと喜ぶな、というのを随分と前に気づいて、そういうキャラとして居ると楽だから、長いこと癖になってやってきちゃったんだよ。だけどもうかなり大人になってしまって、こんな大人がいつまでもそうだと下品だからさ、急にどうしていいのか分からなくなっちゃったんだよね。面白いこと一個も言えないしさ、人を喜ばせる褒め方なんて知らないしさ、なんか疲れちゃったよな。疲れちゃうんだよ。」

 

と言ったらば、

 

「じーちゃんが罵倒クラブに入ってた時の話聞く?」と返された。

 

じーちゃんは、何かエピソードを語る前、きちんとテーマを提示した上で、聞くかどうか尋ねてくるスタイルを基本崩さない。

 

「や、いいわ。」

とは言えないような顔つきで待たれるので、ほとんどプロローグなのである。

 

罵倒クラブって?とは思ったが、質問に質問返すのは野暮かしらと思って、一度スルーしてしまった。以降確認するタイミングを見失ってしまって、未だ分からない。

 

罵倒クラブの鉄則、というものを教わったので、今度簡単にまとめておこうと思う。

 

結局、私の悩みに付き合ったような顔をして、好きなだけウンチク語っただけではないか。罵倒の質アゲタイヨ〜って聞こえたか?まあいいけどね。

 

 

毎年ゴールデンウィークにバーベキューをする。

昨年は、祖父がいざ肉を食べようとしたらひどく苦しがり、えずいて、ついに食べられず、こりゃおかしいぞと病院に連れて行ったら癌でした、なんてことがあった。

 

今年は肉など焼かずに、、、となるかと思いきや、本人が食べたがるところまで回復してくれたので、結局肉を焼くことにした。

 

大概のものは前日祖母と母が買い出してくれたけれど、祖父が当日少し買い足すというので付いて行く。祖父や祖母と、あるいは母と、妹と、2人きりになる時間が好きだ。

 

 

行きは長々と妹の話をした。

 

「あいつはずるい。」と言う。

「要領がいい、よね。」

「いや、ずるい。」

 

妹は確かにずるいのである。

町内一静かだが、いかに省エネに、思い通り、ことを運ぶか、きちんと計算し尽くしている。

 

強み、なのだが、弱みになることもある。

それをどれだけ理解しているのか、と祖父は心配している。

 

大丈夫。どの方面にどの顔すればいいか、それなりに分かっていそうな気がするよ。罵倒クラブのフリで終わってしまった、件の相談は、彼女にした方が良いのかもしれない。

 

祖父といえど、家族といえど、男に「ずるい」と言わせたら、こっちのもんなのだから、そのまま上手いことやっておくれ。

 

 

帰りは色々。

もうそろそろ着きそうだ、という辺りになって、恋人の話を振られる。

 

癌の人から先のことを聞かれたから、変に緊張して、思うように答えられなかった。緊張するうちに、嘘をついたかもしれない。どんなことを言って、どんな風に返されたのか、あんまり記憶にない。

 

関わり方についての話。私が「子供がいるからねえ、とにかく恋愛に関しては、これこれこう考えているよ」とたらたら話し続けるのをじっと聞いてから、要は、もっと単純だよ、ということを教えてくれた。(祖父は人に話を聞かせる、喋り方が上手いと思う。私は焦りすぎる。彼みたいに、ちょっと威張ったような感じがあっても良い。)

 

納得した。

恋人が、血が、とかじゃなく、親子が、というだけでもなく、一緒に生きていくって、こういうことか、単純だな、と思った。意識せず、頑張らず、あくまで自然と、気が付いたら、行き交っていた、というものが祖父母のリビングにはある。それと同じ種類のもの。ああ、一緒に生きるって、家族、そうか。

 

 

家に着く寸前に、きっとわざわざ、話してくれたのだから、覚えておこうと思う。

否定形三段構えから、ストンと落としにいく所が彼らしい。ほとんど原文ママ

 

 

 

「愛は一方通行なもの

一方的に与え続けるもの

それを知らない人はだめ

 

見返りを求める人っていうのは

言葉の端々や態度でわかる

そういう人とは付き合えない

 

すずみに愛情を与えても

すずみにとっては本当の父親では無いのだから

もしかしたらうまく返せないかもしれない

 

それでも愛情を与え続けられるのであれば

大丈夫。」

 

 

 

4つ

 

 

謎にポップなTシャツを着たおばさんを見つけること

落とし物の鍵や子供の靴が、誰かの手によって目に付きやすいところに置かれている様子

ヤマザキのアップルパイが売り切れていないこと

どこからか聴こえてくるピアノの音

パンを焦さずに焼けたこと

手紙をもらうこと

酔っ払った人からかかってくる電話

プレゼントのリボン

我の強いデザインの暖簾

子供の為にと貰ったお土産やプレゼント

私の名前を漢字で書いてくれるメッセージ

祖母と祖父の物を貰うこと

家の鉢植えの土が乾いたところに、水を注ぐ時

何でもかんでも入れた自家製パスタ

好きなものを誰かに覚えておいてもらえた時

人の家の窓から猫が見えること

年上の女性に服を褒められること

声を褒められること

鳥の番を見つけた時

金曜日の朝、週末を予感すること

誰かの家で私のために作られた料理

パートナーが撮ってくれたであろう、友人の写真

花の香りがどこからしてきているのか探す時間

 

 

 

歩道で自転車のベルを鳴らされること

酔っ払った男と女が人前でするキス

見た目を重視しすぎてあまりにも食べ難いもの

好きではない人に勝手に触られること

誰かの育てた花を無断で摘むような人間、比喩的にも

強すぎる風

嘘をつくのが下手な人がネガティブな嘘をつく時の言葉選びと声と顔

店員さんと一度も目を合わせず物を頼む人

 

 

 

切花が枯れていくこと

私の思う優しさが、誰かにとって美しくないこと

なんやかんやいうて人は皆いつか死ぬこと

いい子だとか流石だとか言われること

哀しみを怒りと勘違いされること

目玉焼きの黄身に火が入りすぎてしまうこと

口癖が移りあった後の別れ

土曜日の夜、月曜日がうっすら見え始めた時

生きている間に、全人類が一気に死んでしまえるような何かが起きなそうだということ

子供が寂しいと言うこと

子供の顔が、寂しいと言っている時

 

 

 

銭湯の脱衣所にみんなの孫みたいな顔して居座ること

家の中に、人の生きる音がすること

先を走っていく子供の後ろ姿

隣に人が座っていること

なんやかんやいうて人は皆いつか死ねるということ

パンが丸焦げになって面白いと思える余裕のある朝

マメールロワ/ラヴェル

子供に撫でられること

好きな人達の得意な話を聞く時

あんまり好きじゃなかった部分を褒められる時

黙って誰かと過ごす時間、それを苦としない人

飲食店で私の分の注文も難なく決めてくれる人

初孫で生まれたこと

湯船に潜って息を止めること

人の生きる音よりも自然が勝る場所

空席の多いバスや電車で長い時間を過ごすこと

ほの暗い場所

水の流れる音

人と眠り、人と目覚めること

お味噌汁

 

 

 

 

 

 

中野発JR中央線中央特快

1032分発

 

到着が少し遅れる

乗り換えキチキチなのにな

 

朝から子供とお風呂に浸かった

今日の私はちょっと忙しいので、先に上がる

 

寝室へ下着を取りに行くついでに

ハムスターの小屋に向かって挨拶をする

フワフワが部屋の外でうつ伏せに寝ていた

 

私の家で育ったにしては

とてもお行儀がよい子なので様子がおかしい

 

体はほんのり冷たく、異常にやわらかく

でも、どうにか呼吸をしている

 

名前を呼んで呼んで

手の中で温めて温めて

 

子供をお風呂から上がらせて

とにかく着替えるよう指示をする

 

手の中で温める

手の温度も下がっていく

私自身が裸のままなのだ

 

子の父親に、子供と、急遽ハムスターも預けて

予定していた時間を過ぎてから家を出る

 

走って駅まで来た

 

動物病院に行ってくれている

その子の誕生日は2月27日、とラインを送る

生まれ年を打つ余裕はない、2年前

 

家に子供と2人きりになって、

子供が「さみしい」と言った

妹が欲しい、と言われる度に困った

ついには他の家の妹さんを、自分の妹のように言い始めたので苦しくなってしまって

 

弟のように可愛がって、と貰われてきたハムスター

 

32分発の電車に乗って

きっちり乗り換えをこなさなくてはいけない

 

34分ようやく到着、車内はパンパン

もう乗れそうにないくらいに見える

 

各ドアから数人ずつ降りてくる

その内の殆どはまた車内に戻っていく

 

ホームの列からも乗り込んでいく

私は列の中程、そろそろ順番

 

ん、私の後ろに並んでいた男性が

私の真横に立つ

 

割り込んで乗っていく

まあ別に良い

 

皆自分が列の最後でない限り

後ろから押されている訳でなくとも

ぎゅうぎゅう詰めながら乗っていく

後ろの人分のスペースがあくように

 

混雑した電車に慣れた人々の乗り方

 

時々そうでない人もいる

自分だけ乗れたらビタっと止まって動かない

 

きっとこの世の何かを恨んでいる

温かいものを飲んだり

時々ソフトクリームを食べたらいいと思う

 

どうにか全員乗り込めました

 

左前方には小柄なご婦人

あまり倒れ込まないように気をつけよう

 

右前方には私の後ろに並んでいた男性

ドアが閉まるタイミングでさらに密度が増して

殆ど真向かいになる

私の右肩は彼の鎖骨あたりに

彼の右肩は私の左肩のあたりに

 

四方八方に私以外の体温が触れる

肉の柔らかさがある

私の尻より少し下に同じような弾力がある

左後ろ側は女性だろうと思う

 

こんなに余裕がないのであれば

意図せず人に触れることがあるし

意図せず私に触れてしまうこともあるだろう

 

向かいの男性も気を使うだろう

でも仕方のないことですよ

電車が揺れたら私も寄りかかってしまうだろうし

あなたも後ろに引けないでしょうからね

 

私の方も気を使う

 

小柄な女性の背中と、私との間にほんの少し空いたスペース

左手のスマホで路線を調べる

 

39分の乗り換えには間に合わないだろうな

 

男性は右手にスマホを持ち肘を曲げて胸元にくっつけている

私との狭いスペース、いや、間などない

彼の胸、スマホ、彼の手、私の胸、の重なり

 

電車が揺れる

 

こちらに倒れ込んでくる

 

男性の右足が、私の両足の間に入ってくる

後ろには下がれない

どちらかというと前に体重をかけていた方が重心が取りやすい

 

男性が体重をかけてくるのだから

同じ分くらいはかけても嫌がられないだろうと思う

 

男性の呼吸が荒い

走ってきたのかな

 

自分の胸元に押し付けたスマホを持つ手も震えている

 

指の関節がゴツゴツと私に触れる

 

指先で私の体に触れぬように

角張っているような感じなのだと思う

 

過剰に触れないよう怖がって緊張しているのかも

 

出来るだけ前にも寄りかからないように

静かに踏ん張る

 

電車が揺れる

男性の指の関節が私の薄い右胸を潰して、肋骨と触れる

 

電車が揺れる

彼の関節と私の肋骨の間がもっと狭まる

 

電車が揺れて

間の足がもっと深く入ってくる

 

電車は進行方向に向かって左右に揺れる

電車が前後に揺れたりしないでしょう

 

男性の指が私のジャケットの襟から滑り込む

電車が傾いて胸同士触れる圧が変わるのは仕方ない

でもそれと垂直の方向に指が動くのはどうして

 

このジャケットは祖母のクローゼットからいただいたもの

 

ペイズリーのコーデュロイ

こんなに仕立ての良いお洋服

今じゃなかなか手に入らない

 

左のポケットには銀紙でキャンディのように包まれた小さいキューブのマグロのお菓子が3

 

祖父が昔に食べていた気がする

入っていたのは祖母のポケットだけど

 

これをお守りだと思ってそのままにしている

 

そのジャケットの襟元から

指がぬるりと滑り込んでくる

 

今までの硬さや圧とは違う

空気を纏ったような余裕のある触れ方が今では奇妙

 

呼吸がもっと荒くなる

私の右肩にもたれ掛かるように体重が乗ってくる

 

右耳のすぐ真横で呼吸の音が聞こえる

彼が生ぬるいのか私が冷え切ったのか

 

右腕にグッと力を入れて硬くなる

 

身を離すようにほんの少しだけ押してみる

力で敵う訳ないから

微塵も動かないのだけれど

 

新宿まで一駅

 

今どのあたり

大久保は過ぎてる?

 

まだ着かない

アナウンスも流れない

 

下着の縁を指が弾く

どうして

 

親指と人差し指で器用にスマホをホールドして

のこりの3本は襟の中

 

身が離れるタイミングでスマホの角度が不自然に変わる

2センチ程上に持ち上がる、レンズと目が合う

 

どうして

 

密着すれば中指から小指に力が入り胸元を引っ掻く

身が離れれば他のニ指で画角を操作する

 

その繰り返し 誠に器用

 

マスク越しなのに耳に呼吸がうるさい

 

まだ着かない

後ろに下がれない

身もよじれない

 

密着を超えて押し潰されそうな位

自分が平べったく感じる

 

彼の目が私を見ているのがわかる

目は合わせない

 

この人を捕まえないといけない

 

私のためではなくて

今後私より弱い人間や幼い人間

大切な時を控えている人間に被害のないように

 

ああ手も足もでない

 

この人の人生がめちゃくちゃになってもいい

 

でも

私が理解できないようなことをする人間は

これからもそうだろうから

万が一逆恨みして私を見つけ出し

1番大切なものを壊そうとしたらどうしよう

 

このまま触られておく方がいい

今後また誰かが傷つくだろうごめんね

 

出来るだけ人のためでありたいのに

こんなことで美意識を歪められるなんて

 

今すぐ心不全を起こしてください

 

「まもなく新宿」

 

私にとっては途方もなく長かった

彼にとって充分なんでしょうか

知らないけど

 

ホームに着く前に、

大勢の人が、開く予定のドアに向かって

意識を向けるのが分かる

 

皆の姿勢が少しずつ変わる

 

彼の指や足も

先ほどまでよりは自然な位置に下がる

 

時間の流れが元通りになる

 

ドアが開くと雪崩の中に自ら巻き込まれて

するりと抜けて出て行った

礼儀作法がなってない挨拶くらいしろ

 

39

 

乗り換えに間に合わない

 

こうなるだろうから、

この5分間で路線を調べておきたかったのに

とにかく渋谷へ急がないといけない

 

そうでよかった

焦りで気が紛れるので

 

動物保険に入っているか、連絡が入る

もう寿命であろうとのこと

このまま処置するか、お家でゆっくりさせるか

 

ごめんね、ごめんね、今決められない

子供と相談して、今ちょっと、決められない

 

昔私と結婚していた人からの電話

当然今は私のことより小さな命、なんだけど

以前であれば溢していたかもしれない

 

電話越しに泣いたかもしれない、けど

もうそういうのは無し

 

とにかく私は私で立たなければいけない

 

1人で子供を育てるとなった時、

いやその大元になりうる、喧嘩をした時に

 

髪をバッサリ切った

40センチメートル位

男の子みたいに

 

本当は坊主にしたかった

女もお母さんも全部やめたくて

 

バリカンの刃を隠されて実らなかっただけ

 

私を坊主にさせないならお前がやれよ!!!と怒鳴った

 

彼はやらない、私が鼻水垂らして泣いても

 

そういうところが好きだったけど、嫌気もさす

 

それから半年後には

1人で親をやる覚悟をきめて

 

そういう生活が始まって

 

しばらくの間、あんまりスカートをはかなかった

本当はリボンやフリル、レース、花模様が大好き

でもあんまり上手に柔らかいものを着ることができなかった

 

そうでないといけないような感じがして

 

別にそんなことないんだけど

 

 

実際のところ、最悪な意味で、関係なかった

 

ようやく伸びてもまだショートの髪

ダブルモンクの革靴に

ボーダーのニット、黒いスラックス

黒いカシミヤのジャケット

真面目な黒のモッズハット

深い赤、真四角のレザーバッグ

 

これで尻を触られる

 

どんな格好をしていても声が出ないんだったら仕方ない

 

「女子供はペットだろ」と吐かれて

身動きがとれない

 

小柄ではないけれど、態度が大きいだけで背はさほどない

 

行きつけのベトナム料理屋のその目の前

子供を抱き上げて笑ってくれる店員さん達のいるカフェのすぐそこで

 

私の極、生活の内でそういうことがある

 

殴れたらいいのにボコボコに

 

私は私のことを守る余裕はないから

自身のことは最早なんだって良いけれど

幸せな母親でいたいのと

自分より大切な人間に手を出されたら許せないのよ

 

最悪のことがあった時

ボコボコに殴って首を絞められたらいいのに

 

あのさ

あなたたちは私のことを忘れるかもしれないけど

私は忘れないよ

 

あぁでも今日の彼

動画の中で私はずっとあなたのものですね

 

 

ハムスターが死んでしまった

 

昨日私は早く寝てしまって

お散歩に出してあげられなかった

 

餌の中に新しく買った乾燥野菜のおやつを混ぜてあげなかった

しばらく暖かかったから暖房を消して寝てしまった、ほの寒い朝

 

その日に

 

 

 

私が誰かと一緒にいても

私の胸を触ったかな

 

私が男性と手を繋いで乗り込んできても

耳元に呼吸を押し付けたんですか

 

人は皆孤独だと思っているけど

それを代わりに説いてくれたんですか

 

 

試験当日の受験生を狙う、というニュースを見た

 

声を上げられないからだって

 

死刑にしてください

 

家族が使っていたコーヒーカップの形見を、今朝割ってしまったばかりの人

愛する人との赤ちゃんを待って待って疲れ切ってしまった人

死にたかった昨日を乗り越えて今日を生きる人

夜泣きと家事で一睡もせぬままパートに向かう人

 

子供がいじめにあって仕事どころではない親も乗る

服で見えない部分を親から毎日殴られている子供も乗る

 

 

本当はうずくまって泣いてしまいたい人達が、なるべく普通の顔で電車に乗っている

 

 

身体的女性であれば4人に1人は股から血を流している

残ったうちの1人は月経前のホルモンバランスの乱れで

立っているだけでしんどい人もいる

 

皆平気そうな顔をして乗っているだけ

 

体に触らないでほしい

 

 

彼らが逃げるように出て行った後で

プツンと糸が切れる

 

他人の人生や1日を

台無しにする権利がどうしてあるというのか

 

完璧な日などない

自分の生活や人生に満足などしていない

 

それでも1日を生きなくてはならない

 

あなたの息が右耳に残っていても

私はこの先も笑顔で生きなければいけない

 

あなたの人生がどんなにつまらないものでも知らない

 

落ち込んでる暇がない

分からないでしょうけど皆そうなの

 

 

今までなら

 

顔も知らぬ男に体を触られるたびに

 

このボケ、どこみて選んでんの

これでいいわけ?

この胸を触ってそれであんたはいいわけ?

私の顔を見た?

リスクを負うのにどんな顔でもいいの?

 

こんな感じだった

 

知らない人に

密着されて、体を触られて

 

それを恐ろしさや悲しみとしてしまうと

もうどこにも逃げられなくなる気がするので

上手いこと洒落と怒りに変換させてきた

 

みんなそうしてる

 

体を触られる度に怖がって泣いてなどいられない

特別ではない頻度で繰り返されるから

 

そんなに暇じゃない

そんな精神に余裕がない

 

どうってことないと思わないとやってらんないから皆誤魔化してる

 

でもそれで良いわけなくて

少なくとも正攻法ではなくて

出鱈目に仕上がって、やっぱり間違っている

 

だって顔も体つきも年齢も何も全く関係なく

誰だって勝手に体を触られていいわけない

 

自虐するつもりで私の体なんてと思っていたけど

それはむしろ危険な思想だ

 

だって

「私と違って」もっと若くて

「私と違って」もっと可愛くて

「私と違って」もっと女性らしい

そういう人なら

 

される価値があるとでもいうのか

それって少し曲げれば

されて仕方ないというようなものではないか

 

私と私以外、女性だろうと男性だろうと

子供だろうと老人だろうと関係ないはず

 

きちんと怒りたい

 

神様みんな殺しちゃってくれませんか

 

そういう罪で、あの人ら殺すってなったら

私もなんらかの罪で死ぬことになるのかな

 

同等程度のこと

してないとも分からないもの

 

生きるのってしんどいね

 

 

ミスタードーナツでオールドファッションハニーを買って帰る

 

神様流石にこれは必要経費でしょう

税金とるわけ?野暮だね

 

 

ペットの火葬供養の電話

 

私の「燃やす」という言葉に子供が泣く

 

私もつられて泣く

 

堪えた1日分をダラダラと泣き続けて

涙が止まったかと思えば吐き気がする

えずいても吐けはしない

 

今度はダラダラ涎だけ絶えず溢れて

 

目の前でこうなってやれば良かったと思う

右肩の上に擦りつけてやれば良かった

 

もう飽き飽きなんだよ

 

平気だと思ったのかいな

平気じゃなくても関係ないから?

それとも平気じゃなさそうなのがヘキ?

それとも本当に誰でも良かった?

 

あんた、本当に幸せにしたい女ができた時

その子に降りかかる全ての災難を憎むような

そういう女ができた時

 

動画を全部消したら都合良く私たちも忘れるの?

 

私が男じゃなかったから

私の隣に男がいなかったから

私が弱いだろうと思って付け込んだくせに

 

他の女の弱さに惚れて守ってやろうだなんて思わないでね

 

幸せになんてならないでね

 

私はなるけどね

私は私と大切な人らとで幸せに生きます

あなた等より長生きします

 

神も仏もちゃんと仕事してね

よろしくね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴッサムシティの桜

 

 

 

書くことがないわけじゃあないんだけど、ちょっとだけタイトスケジュールな最近は、なかなかキーボードと向き合えずにいる。さらりと心地の良い文章が書ければ、私にとっても癒しとなるだろうし、このブログを読んでいる人がどうやらいるらしいので、その変人らにとっても感じが良いはずなんだけど、難しい。ゴッサムシティのアダムス家生まれ故、毎回いつの間にか薄らくらい感じになってしまうね。

 

ゴッサムシティというのは世界各地にありまして、私は埼玉のそこで生まれたんだけど、バットマンは各地に配置されているわけではないので、埼玉のそこは漫画の世界よりも更に陰気なのである。

 

産声をあげたのも、保育園も、小中学校も埼玉県ゴッサム郡。シティじゃないんかい。

 

小さなコミュニティ規模で見れば、ヒーローみたいなものはいたかもしれない。当時は発達に優れていてただ明るく、両親揃っていて育ちのいい奴、って目で見ていたけれど、彼らにも彼らの苦しみがあったはずだ。真っ直ぐ僻んで、噛み付いたりしていたね、ごめんね。

 

「地元」って、生まれ育った場所、つまり単に地理的な意味でも使うけれど、人にとってはその環境にいた人間や店や時間のことを指すでしょ。己の判断ではまだ生きる場所を変えづらいような時期、上手くいったことなどほとんどなかったので、私にとって地元はモノトーン。

 

曇り空の色。自室のベットに寝そべって延々と眺めた、天井の、くすんだ白と塩昆布のような謎の模様がぼんやりと混ざり合った色。

 

それでも私も私なりに生まれた土地を愛していて、時々、何も持たずにふらりと帰ってしまいたいと思う。

 

春と呼ぶにはもう暑すぎる5月頃、遠い山肌に藤がかかっているのが見える。フラワーパークにあるような贅沢なものではなく、中華屋でチャーハンについてくる、スープに浮く卵みたいに繊細。枇杷や桑の実が枝をしならせる。小学校の帰り、ゆうやくんとかずきくんと、人の家の枇杷によじ登って、盗んで食べた。めちゃくちゃ美味かった。ちゃんと見つかって、きっちり怒られて、帰りにおかわりを持たせてくれた。めちゃくちゃ美味かった。アダムとイブも即死する。

 

夏は蝉がうるさい。ミーンミーンと鳴くのはもうわかったから、飛び立つ前にジジッ!!!!と叫ぶのだけ辞めてもらえないか?夏はなるべく薄着で、なるべく身軽に、どこまでも歩いて行きたい。化粧なんてしても全て落ちるから、しなくて良い。髪はとりあえず括ると良い。飾らずに出かけて困るような場所はない。会って恥ずかしい人など住んでいない。地図は読めるが方向音痴なので、地元でも迷子になる。坂の上にあるのが上のヤオコー、駅前にあるのが下のヤオコー。どちらも家から徒歩15分位なんじゃないかと思うけど、なぜか上のヤオコーに辿り着けない。未だに謎である。

 

秋になると葉が色づく。いつまでも見ていたい。一本一本の樹が、一枚一枚の葉が、全てオリジナルの色彩を持つ。道端の柘榴が熟れる。かじってみたいと思う。でも怖い。湿度が下がって、静かになるような気がする。足元の写真を撮りたくなる。葉を蹴って歩く。花梨や栗は気ままに転がっている。拾って帰る。誰も怒らない、誰にもお金を払わない。東京に来て、花梨が転がっておらず、困った。高円寺駅前に出てるマルシェで見つけたら、600円位した。すべすべ肌の美人ではあった。貴方をまけてもらうわけにはいかないよね。ゴツゴツ歪で、アスファルトを転がった跡が黒く傷んだものでいいから、私は拾って手に入れたい。友人に花梨ちゃんがいるけれど、そちらは傷み知らずの人生求ム。美人である。

 

冬は最高。冷たい空気を骨骨した樹形の黒が区切る。月の美しいこと。川辺のベンチに座って、ひたすらにそれだけを見る。幹の歪みに悩みを打ち明けるような時間。冷え切った頃にようやく、何かの答えが出る。私が人生かけてブレずに愛しているのは、樹形とホクロ位。子供のことを愛そうと、他の人を愛そうと、この歴史以上になることはないと思う。川辺には誰もいない。生活の光を感じない。数本の街灯と、その時に必要な音楽で、どうにか居心地良く保てているような環境。iPodの充電が切れればいきなり酷く孤独になりそうな、そういう場所に、ジッと座り込めることのありがたさ。子供が大きくなったら、またそういう場所を探したい。あぁ、子供にとっての地元となる場所は、ここのままで良いのかしらと思う。

 

そうして長い冬が明けていく。柔らかい葉がつく前に、枝先が膨らみ始める。ベンチの上から桜が被さると、ホテルのアフタヌーンティーなど、一生諦めてしまえるほどの贅沢を感じる。電車に乗って、岩のようなカメラを担いで、誰かが見にくるわけではない桜が、それでもあんなに綺麗でいてくれるんだから、目に焼き付けたい。

 

今年は小さいけれどカメラを手に入れたから、わざわざ遥々電車に乗って見に行こうと思う。こんなに地元の春を恋しく待ったのは初めて。

 

地元の社会で過ごしてきた時間の記憶が、これから色づくことはないだろうけれど、私が一人きりで見てきた景色はこれまでもこれからもずっと鮮やかだ。今では、誰かと一緒にみてみたいとも思う。嬉しい。

 

 

 

わからずや

 

私の子供のことを「わからずや」と言った人間のことを、久しぶりに、心底嫌った。言葉選び、子の実際、関係性、どこにひっかかったかわからない。字面だけみたら、そんなに酷くない。むしろ彼の中に感情としてあった状態から、ものすごく細かいフィルターを何枚も通して、かなり柔らかくなった言葉のように見える。それでも、だった。なんだろうな、表情筋の動きの、わずかな違和感。強いて言えば。その言葉の柔らかさを覆すような、口角。

 

彼は、私のことを好きだと言ったけど、そんなはずはない。あんた、私のどこをどう「わかった」つもりでいるんだよ。

 

子供以上に美しいものがあるとは到底思えない。人にわかって欲しいとも思わない。私だけが見失わずにいれたらいい。

 

デモクラシーを起こすつもりはない。あくまで信仰だ。

 

友人が、ピアノの先生が、祖父母が、文房具屋の店主が、私の子供を褒める時、私は少しだけ孤独を忘れることができる。ただそれだけのことである。ただそれだけのことが欲しい。

 

同じ景色を見て、綺麗だねと感じる喜び。同じパン屋を気にいる喜び。たまたま好きな歌手が同じだっただけの、そういう喜びだから、「幸運」の範疇、私も人も、どうにもできないこと。されど、ふとしたラッキーが、必要なのね、人生。

 

高校生の時、心底好きだった男の子がいて、彼の好きな歌を繰り返し聴いていたら、なんだか元々好きだったフウになった。そんなこともある。それも良い。

 

私が葉脈を愛していて、それを分からぬ人がいて、その人はコオロギが好きで、私がそれを分からなくても、それでもお互いを尊敬して、尊重して、心地よく与えたり受け取ったりすることはできるだろう。が、人間による人間への信仰は結局、その人そのものなので、「分からぬが」で済まない。

 

「エンタメ」の内で済む憧れならまだしも、それ以外は。

 

信仰が親へ向いたものでも、政治家に向いたものでも、子供に向いたものでも、イエスキリストでも、ブッダでもそう。難しい。

 

 

この前、子供が「もう、すずは生まれてこなければよかったね?」と言っていた。

 

まあ私が言わせたんだろう。驚きはしたが、ショックは受けなかった。悲しみはしたけど涙は出ない。

 

「まあ分かるよ、そう思うよね」なんて言った。頭がおかしい。でも分かる。ごめんね。

 

「お前が16で子供作ったんだろ。お前が産んだんだよな?産まなけりゃよかっただろ。上手に育てられないのなら産むなよ。そっちで後悔しろよ。」

 

私が母に繰り返した言葉です。そう思うこともあるんだよ。母の子育ては確かに上手ではなかったような気がするけど、かなり気張ったものであることを知っていた、のにも関わらず。どんなに母に愛されていようと、どんなに母を愛していようと、こういう言葉が出てくることがある。冷静ではない。いつも泣きながら振り絞った。母も泣いていた。

 

生まれてこなければよかったな、死にたくないけど居なくなれないかな、なんて思いながら生きてきたけど、

 

私はあなたが生まれてきて、

 

あぁこんな美しいものが見れるなら、生まれてきてよかったな、と思えたよ。ようやく母に感謝した。あなたが私の人生を救いにきた。

 

だけれどそれは、人に風邪をうつして治るようなものだったかもしれないね。

 

私の二の腕のぶつぶつは遺伝子しないと良いね、あなたの二の腕がぶつぶつしてたとして、美しさは変わりませんが。

 

生まれてこなければ良かったとか、生きていたくないとか、みんな思うものだと思ってたんだけど、そうでもないみたいよ。

 

そんなこと一度も思ったことない、とあなたの父親は言っていて、寂しい気持ちにもなったけど、頼もしいっちゃ、頼もしいのかなって、その時は思ったさ。

 

毎日あんなに愛情を言葉にして浴びせても、ハグしても、彼女にとって足りないものがある。私がそれを埋められるんだろうか、こわいな。

 

結局私のように、彼女が自分で探しにいくのかもしれない。それはそれで。でもあなたは美しいから、きっと大丈夫、と思っている。勝手だろうな。申し訳ないな。

 

お互いに、何にも変えられないくらい、ズブズブ愛し合っているのに、それでもどこか寂しいのは、なんかそういう染色体の揺らぎだと思うしかない。私も30年、本気で向き合ってきたけど、分からないんだ。

 

私が移した風邪なら、彼女が咳をした時、鼻水をすするとき、自分の顔を覆うようなことはしたくないな。

 

でもいざ面と向き合ったら、どうしたらいいか分からない。私の母もこんな顔をしていたのかもしれない。

 

私は私で、結局それなりにショックだったみたいで、あとからキチンと涙が出てきた。

 

あんなこと、言わせたくないな。何ができるんですか。

 

こういう時、私以外の誰かが彼女を「褒める」ことの、ありがたみを感じる。「褒めてくれる」などと思わない。不敬である。彼女と私は別物だから。私と彼女と、もう1人誰かがいる時、その立場は三角だ。

 

とても遠く感じる。それでも人様の言葉に苛立ったりホッとしているだけではいられない、私だけの仕事がある。

 

私はどうしたらいいんだ。

 

向き合って彼女の目を見ていると、何もかも、分かっている、ように見える。背伸びしないといけないような気持ちになる。狡いことはできない。

 

神様を信じることに憧れたことがある。

 

だって、何か善いことがあれば神様のお陰で、悪いことが起これば神様の作用だとするならば、少なくとも寂しくないだろうなって。

 

でももしかしたら恐いことかもしれない。狡いことはできない。

それでも。

 

 

 

 

 

金色の入った壺

 

 

 

好きな色は青緑。好きな色は、と聞かれたら、青緑。

 

一緒に時間を過ごした女性たちからは、私といえば「紫」か「そのピンク(ダークフューシャ)」と聞く。好きな色なので、嬉しい。

 

過去に付き合った男性には3人連続「オレンジ」と言われて、全くそういう印象がなかったので疑問だったのだけれど、最近「さきちゃんの部屋はいつも暗くて間接照明がついているから、そのオレンジなんじゃないか」と、面白い考察をもらった。

 

他にも、白は好き。白は明るくて頑固だから良い。黒をよく着るけど、好きとは違う。似合うと思っている。髪の色と、目の色と、角ばった体と、合うと思う。

 

金色が好き。そういえば子供の頃、私は自分の体から金色が出ていくのを見ていた。金色は平たく言えばHPMPのようなもので、一方的に人に与えることができた。無限ではない。与えれば自分の分が減る。それが尽きた日のこともぼんやり記憶している。子供の妄想にしては期間が長かった。大人になって、あれはもしかして何かの漫画やアニメの影響から来たものなのかと疑ってみたが、調べても調べても同様のものは出てこなかった。

 

車の窓から外を眺めていて、体格に対してあんまりにも重たそうな荷物をもつ老婆を見つければ、自分の金色を送ったりした。ペイペイみたいな感覚で、分け合った。杖をつく人、泣く子供、疲れた顔の大人、みんなに与えて過ごして、ある日ふと「あ、使い切ってしまった」と感じた記憶がある。チャージ機能はなかった。

 

その後は何か泣きたくなるようなことがある度に、「私の分を残さなかったからだ」と、思っていたことも覚えている。

 

今思えば、子供の作ったファンタジーな現実逃避だったのだろう。大きなショックやストレスを受けた子供が二重人格になる、そのずっとずっとずっと手前のような、上手な逃げ方だったのかもしれない。すごく満ち足りた幼少期(そんなものはきっと誰も得ていない)ではなかったけれど、すごく不幸だったわけでもなくて、それでもやっぱり、現実だけ見るには苦しいことも多くあったように思う。どの家の子供もそう、大人よりあらゆることに敏感で、都合の良いズルさを持ち合わせていない時期は。

 

体の中の真っ暗な場所に大きな壺のようなものがあって、そこに金色は納められていた。水分のような滑らかさで、気体のように軽い。壺の中はその密度から、濃く濃く光も強い。それが空気中に放たれると、オーロラのように伸びて透ける。きらきらと光る粒も見える。凹凸感がある。

 

もしその幻想が、本当に余裕のなさから生まれたものだとして、なぜ私は自分の身を削って人に与えたのだろう。幸せそうな人から、吸い取れば良かったのに。

 

勝手にやっていたことなので、「利他的」というには体が良すぎる。あくまでも自分が生きるために工夫したことのように思う。そちらの方が自然だしね。考えてみようか。

 

一見利他的に見えるのだけれど、子供の頃の私の様子をもってすれば、否定も簡単である。保育園では近寄ってきた子の腕に噛みつき、小学校では気に入らない子の首を締め、中学校では私のルックスを馬鹿にした子をプールに沈めた。母はよく頭を下げた。人の為に、など手の届かない性分であった。いつも苛立っていた。全部気に食わない。あんまり友達も欲しくなかった。好きだった男の子の家庭環境が大きく変わり、ひょうきんだった彼があんまり笑わなくなったことにも苛立って、ボールを投げつけたりした。彼は毛布をかぶり黙っていて、彼の弟がその前に大の字で立って「やめて」と泣いていた。最悪だった。家族以外の全ての人間に嫌われても仕方のないような子だった。笑って欲しいのなら、笑わせなければならない。頭もすこぶる悪かった。

 

通信簿に「さきさんは人のやりたがらないことを、率先してやります」と書いてくれた先生がいた。そのくらいしか褒めることはないから。よく振り絞ってくれたと思う。基本的に、人の温度のある環境で、私が良い行いをすることなどなかった。皆がトイレ掃除当番を嫌がるから、私はそれを嬉々としてやった。静かだった。誰にも褒められない。いつも通り、変わったやつだなと思われただけだと思う。感覚的に、私と、私以外、の隔ては厚かった。

 

誰かの役に立ちたかったのかもしれない。自分が心地よく生きる為に、あくまで利己的に。いざ人と対面すると上手くできないから、トイレをなるべくピカピカにして、金色を送っていたのかもしれない。

 

へえ、金色についてはずっと疑問だったんだけど、今夜ようやくしっくりきた。なぜ金色を選んだんだろう。やっぱり縁起が良いからかな。

 

子供時代、人を傷つけて過ごした。私も傷だらけだった気がするけど、そういう問題ではない。上手くいかなかった。私の子はどうだろう。金色を妄想の壺にしまいこまずに、言葉にできたらもっと嬉しいよ。金色で人に触れたらもっといい。

 

今でも徳の積めるような人間には成れていないが、選んだ仕事を思うと、未だに努めようとしているようだ。空っぽになった日、あんまり動揺していないフリをしていたけれど、怖かった。あの日の私へ、なんか知らんけど、体の成長と共に壺もやたらデカくなり、しかもいつの間にかちょっとチャージされてる。金色は、どうやら、人からいただくこともできるようだ。先に与えることができれば、それなりに受け取れるシステムだ。与えては受け取り、うまいことやろう。あと、人を傷つけるほど酷く苛立つのなら、先に泣いてしまった方が良い。ちゃんと「嫌だ」と言うこと。蓋を閉めない。