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明石家さんまのご長寿なんたらみたいな番組ありますよね。あれの、 おじいちゃんおばあちゃんが、かつての自分にメッセージ送るやつ好きなんですけど、 あれみたいな気分で日記を書いてます。投稿してから3日間は校正期間。

わからずや

 

私の子供のことを「わからずや」と言った人間のことを、久しぶりに、心底嫌った。言葉選び、子の実際、関係性、どこにひっかかったかわからない。字面だけみたら、そんなに酷くない。むしろ彼の中に感情としてあった状態から、ものすごく細かいフィルターを何枚も通して、かなり柔らかくなった言葉のように見える。それでも、だった。なんだろうな、表情筋の動きの、わずかな違和感。強いて言えば。その言葉の柔らかさを覆すような、口角。

 

彼は、私のことを好きだと言ったけど、そんなはずはない。あんた、私のどこをどう「わかった」つもりでいるんだよ。

 

子供以上に美しいものがあるとは到底思えない。人にわかって欲しいとも思わない。私だけが見失わずにいれたらいい。

 

デモクラシーを起こすつもりはない。あくまで信仰だ。

 

友人が、ピアノの先生が、祖父母が、文房具屋の店主が、私の子供を褒める時、私は少しだけ孤独を忘れることができる。ただそれだけのことである。ただそれだけのことが欲しい。

 

同じ景色を見て、綺麗だねと感じる喜び。同じパン屋を気にいる喜び。たまたま好きな歌手が同じだっただけの、そういう喜びだから、「幸運」の範疇、私も人も、どうにもできないこと。されど、ふとしたラッキーが、必要なのね、人生。

 

高校生の時、心底好きだった男の子がいて、彼の好きな歌を繰り返し聴いていたら、なんだか元々好きだったフウになった。そんなこともある。それも良い。

 

私が葉脈を愛していて、それを分からぬ人がいて、その人はコオロギが好きで、私がそれを分からなくても、それでもお互いを尊敬して、尊重して、心地よく与えたり受け取ったりすることはできるだろう。が、人間による人間への信仰は結局、その人そのものなので、「分からぬが」で済まない。

 

「エンタメ」の内で済む憧れならまだしも、それ以外は。

 

信仰が親へ向いたものでも、政治家に向いたものでも、子供に向いたものでも、イエスキリストでも、ブッダでもそう。難しい。

 

 

この前、子供が「もう、すずは生まれてこなければよかったね?」と言っていた。

 

まあ私が言わせたんだろう。驚きはしたが、ショックは受けなかった。悲しみはしたけど涙は出ない。

 

「まあ分かるよ、そう思うよね」なんて言った。頭がおかしい。でも分かる。ごめんね。

 

「お前が16で子供作ったんだろ。お前が産んだんだよな?産まなけりゃよかっただろ。上手に育てられないのなら産むなよ。そっちで後悔しろよ。」

 

私が母に繰り返した言葉です。そう思うこともあるんだよ。母の子育ては確かに上手ではなかったような気がするけど、かなり気張ったものであることを知っていた、のにも関わらず。どんなに母に愛されていようと、どんなに母を愛していようと、こういう言葉が出てくることがある。冷静ではない。いつも泣きながら振り絞った。母も泣いていた。

 

生まれてこなければよかったな、死にたくないけど居なくなれないかな、なんて思いながら生きてきたけど、

 

私はあなたが生まれてきて、

 

あぁこんな美しいものが見れるなら、生まれてきてよかったな、と思えたよ。ようやく母に感謝した。あなたが私の人生を救いにきた。

 

だけれどそれは、人に風邪をうつして治るようなものだったかもしれないね。

 

私の二の腕のぶつぶつは遺伝子しないと良いね、あなたの二の腕がぶつぶつしてたとして、美しさは変わりませんが。

 

生まれてこなければ良かったとか、生きていたくないとか、みんな思うものだと思ってたんだけど、そうでもないみたいよ。

 

そんなこと一度も思ったことない、とあなたの父親は言っていて、寂しい気持ちにもなったけど、頼もしいっちゃ、頼もしいのかなって、その時は思ったさ。

 

毎日あんなに愛情を言葉にして浴びせても、ハグしても、彼女にとって足りないものがある。私がそれを埋められるんだろうか、こわいな。

 

結局私のように、彼女が自分で探しにいくのかもしれない。それはそれで。でもあなたは美しいから、きっと大丈夫、と思っている。勝手だろうな。申し訳ないな。

 

お互いに、何にも変えられないくらい、ズブズブ愛し合っているのに、それでもどこか寂しいのは、なんかそういう染色体の揺らぎだと思うしかない。私も30年、本気で向き合ってきたけど、分からないんだ。

 

私が移した風邪なら、彼女が咳をした時、鼻水をすするとき、自分の顔を覆うようなことはしたくないな。

 

でもいざ面と向き合ったら、どうしたらいいか分からない。私の母もこんな顔をしていたのかもしれない。

 

私は私で、結局それなりにショックだったみたいで、あとからキチンと涙が出てきた。

 

あんなこと、言わせたくないな。何ができるんですか。

 

こういう時、私以外の誰かが彼女を「褒める」ことの、ありがたみを感じる。「褒めてくれる」などと思わない。不敬である。彼女と私は別物だから。私と彼女と、もう1人誰かがいる時、その立場は三角だ。

 

とても遠く感じる。それでも人様の言葉に苛立ったりホッとしているだけではいられない、私だけの仕事がある。

 

私はどうしたらいいんだ。

 

向き合って彼女の目を見ていると、何もかも、分かっている、ように見える。背伸びしないといけないような気持ちになる。狡いことはできない。

 

神様を信じることに憧れたことがある。

 

だって、何か善いことがあれば神様のお陰で、悪いことが起これば神様の作用だとするならば、少なくとも寂しくないだろうなって。

 

でももしかしたら恐いことかもしれない。狡いことはできない。

それでも。