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明石家さんまのご長寿なんたらみたいな番組ありますよね。あれの、 おじいちゃんおばあちゃんが、かつての自分にメッセージ送るやつ好きなんですけど、 あれみたいな気分で日記を書いてます。投稿してから3日間は校正期間。

金色の入った壺

 

 

 

好きな色は青緑。好きな色は、と聞かれたら、青緑。

 

一緒に時間を過ごした女性たちからは、私といえば「紫」か「そのピンク(ダークフューシャ)」と聞く。好きな色なので、嬉しい。

 

過去に付き合った男性には3人連続「オレンジ」と言われて、全くそういう印象がなかったので疑問だったのだけれど、最近「さきちゃんの部屋はいつも暗くて間接照明がついているから、そのオレンジなんじゃないか」と、面白い考察をもらった。

 

他にも、白は好き。白は明るくて頑固だから良い。黒をよく着るけど、好きとは違う。似合うと思っている。髪の色と、目の色と、角ばった体と、合うと思う。

 

金色が好き。そういえば子供の頃、私は自分の体から金色が出ていくのを見ていた。金色は平たく言えばHPMPのようなもので、一方的に人に与えることができた。無限ではない。与えれば自分の分が減る。それが尽きた日のこともぼんやり記憶している。子供の妄想にしては期間が長かった。大人になって、あれはもしかして何かの漫画やアニメの影響から来たものなのかと疑ってみたが、調べても調べても同様のものは出てこなかった。

 

車の窓から外を眺めていて、体格に対してあんまりにも重たそうな荷物をもつ老婆を見つければ、自分の金色を送ったりした。ペイペイみたいな感覚で、分け合った。杖をつく人、泣く子供、疲れた顔の大人、みんなに与えて過ごして、ある日ふと「あ、使い切ってしまった」と感じた記憶がある。チャージ機能はなかった。

 

その後は何か泣きたくなるようなことがある度に、「私の分を残さなかったからだ」と、思っていたことも覚えている。

 

今思えば、子供の作ったファンタジーな現実逃避だったのだろう。大きなショックやストレスを受けた子供が二重人格になる、そのずっとずっとずっと手前のような、上手な逃げ方だったのかもしれない。すごく満ち足りた幼少期(そんなものはきっと誰も得ていない)ではなかったけれど、すごく不幸だったわけでもなくて、それでもやっぱり、現実だけ見るには苦しいことも多くあったように思う。どの家の子供もそう、大人よりあらゆることに敏感で、都合の良いズルさを持ち合わせていない時期は。

 

体の中の真っ暗な場所に大きな壺のようなものがあって、そこに金色は納められていた。水分のような滑らかさで、気体のように軽い。壺の中はその密度から、濃く濃く光も強い。それが空気中に放たれると、オーロラのように伸びて透ける。きらきらと光る粒も見える。凹凸感がある。

 

もしその幻想が、本当に余裕のなさから生まれたものだとして、なぜ私は自分の身を削って人に与えたのだろう。幸せそうな人から、吸い取れば良かったのに。

 

勝手にやっていたことなので、「利他的」というには体が良すぎる。あくまでも自分が生きるために工夫したことのように思う。そちらの方が自然だしね。考えてみようか。

 

一見利他的に見えるのだけれど、子供の頃の私の様子をもってすれば、否定も簡単である。保育園では近寄ってきた子の腕に噛みつき、小学校では気に入らない子の首を締め、中学校では私のルックスを馬鹿にした子をプールに沈めた。母はよく頭を下げた。人の為に、など手の届かない性分であった。いつも苛立っていた。全部気に食わない。あんまり友達も欲しくなかった。好きだった男の子の家庭環境が大きく変わり、ひょうきんだった彼があんまり笑わなくなったことにも苛立って、ボールを投げつけたりした。彼は毛布をかぶり黙っていて、彼の弟がその前に大の字で立って「やめて」と泣いていた。最悪だった。家族以外の全ての人間に嫌われても仕方のないような子だった。笑って欲しいのなら、笑わせなければならない。頭もすこぶる悪かった。

 

通信簿に「さきさんは人のやりたがらないことを、率先してやります」と書いてくれた先生がいた。そのくらいしか褒めることはないから。よく振り絞ってくれたと思う。基本的に、人の温度のある環境で、私が良い行いをすることなどなかった。皆がトイレ掃除当番を嫌がるから、私はそれを嬉々としてやった。静かだった。誰にも褒められない。いつも通り、変わったやつだなと思われただけだと思う。感覚的に、私と、私以外、の隔ては厚かった。

 

誰かの役に立ちたかったのかもしれない。自分が心地よく生きる為に、あくまで利己的に。いざ人と対面すると上手くできないから、トイレをなるべくピカピカにして、金色を送っていたのかもしれない。

 

へえ、金色についてはずっと疑問だったんだけど、今夜ようやくしっくりきた。なぜ金色を選んだんだろう。やっぱり縁起が良いからかな。

 

子供時代、人を傷つけて過ごした。私も傷だらけだった気がするけど、そういう問題ではない。上手くいかなかった。私の子はどうだろう。金色を妄想の壺にしまいこまずに、言葉にできたらもっと嬉しいよ。金色で人に触れたらもっといい。

 

今でも徳の積めるような人間には成れていないが、選んだ仕事を思うと、未だに努めようとしているようだ。空っぽになった日、あんまり動揺していないフリをしていたけれど、怖かった。あの日の私へ、なんか知らんけど、体の成長と共に壺もやたらデカくなり、しかもいつの間にかちょっとチャージされてる。金色は、どうやら、人からいただくこともできるようだ。先に与えることができれば、それなりに受け取れるシステムだ。与えては受け取り、うまいことやろう。あと、人を傷つけるほど酷く苛立つのなら、先に泣いてしまった方が良い。ちゃんと「嫌だ」と言うこと。蓋を閉めない。