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明石家さんまのご長寿なんたらみたいな番組ありますよね。あれの、 おじいちゃんおばあちゃんが、かつての自分にメッセージ送るやつ好きなんですけど、 あれみたいな気分で日記を書いてます。投稿してから3日間は校正期間。

女性の背中

 

 

 

さて書くこともないのにメモを開いて打っております。兎にも角にもブログを更新しようというわけ。

 

 

生コンサルタント女から「銭湯」とだけ返信が来たので、銭湯について書こうと思う。

 

そのうち書きます、と言っていたテーマではあるが、深いことなど殆どない。詩のように残す努力はせず、写真のように、風景の描写をすることで満足とする。

 

我が家から北に、自転車で5分ちょっと。八百屋の脇の道を通って、大きな道にあたったら左折。しばらく直進、左側に区立の大きな公園、そのまま直進。

 

私の家の最寄り駅とその路線とは違う、北側のご近所駅の、その踏切を超えて、商店街のすぐ1本目を曲がればいつもの銭湯である。最寄りの銭湯は徒歩5分なのだけれど、精神的最寄り銭湯はここ。

 

目指す時間はきっかり18時。その時間を15分過ぎそうなのであれば、諦める。人に迷惑をかけないことで、こんなに時間きっちり守っているのはたった一つ、これだけ。人に迷惑をかけてでも遅刻するのにね。私と待ち合わせを繰り返ししてきてくれた全ての人間の、1年で1番晴れてほしいと願う日が、この先ずっと晴天になりますように。

 

駐輪場はない。銭湯と、その横並びにあるコインランドリー沿いに斜めに停める。せかせか子供のヘルメットを外して、小走りで入っていく。靴箱は、なんとなくアンラッキーな感じのする数字は避ける。それ以外の数字で、なんとなくいい語呂の響きがありそうなものを選ぶ。

 

玄関からいきなり男女左右の扉に分かれて入る。女は左。私の子は、「女性」という言葉に特別な意味を持たせているように思う。「(この服)ジョセイみたいでしょ」なんて使い方をする。なんていうか、「雌」の上にリスペクトの段差があるようだ。「あんねぇ、赤ちゃんもおばあちゃんも、男じゃなけりゃ女性だよ。生まれた時に決まっているの。心とは別なんだけれどね。」なんて話をしたけど、分かったのかな。別にわからなくても良いけど、ふとした時に誰かを傷つけたりしないように。

 

「女性」用の扉に入ると女将さんが右手番台に。「こんにちは〜」の声が3種類重なる。五百円。子供は大人1人につき、1人?無料なので、きっかり五百円。「タオル2枚ください。」

 

子供をトイレに行かせる。子供は、出先で1番嫌なタイミングを待ってモジモジしだすものである。そんな時「なんで今!!!!!!!」と、ひりつくのは仕方なしとして、叱るのは違うわけ。親は自分がいくらスッキリしていても、常に気を張り「1番然るべきタイミングで」子供をトイレに連れて行くのだ。こういう仕事のストレスは、誰にも褒められない。子供の笑顔を糧に、明日も生きていこう。

 

子供はどんどん脱ぐ。そりゃそうよ、子供は全員美しい体なんだから。天使の頃。大人だって、皆それぞれの美しさ、と言っておきたい性分なんだけど、自分の体をまだあんまり気に入ってないから、嘘になってしまう。気に入ってないけど、誰にも憧れてないし、嫌っているわけでもないからどうしようもない。そういう心地の悪さである。

30年も生きれば、体の表面的なデザインや触り心地は、内面の表れであるように思う。私たち、というか、私の外側と内側は、結局のところ気が合うのだろうな。そうであるならば、無理矢理気に入ろうとするもんでもないだろう。

 

私もそれなりにどんどん脱ぐ。すっぽんぽんになる結果よりも、「脱ぐ」その過程の方が、ずっと恥ずかしい。いつも迷っている。乳首を見せた状態でパンツを履いているのと、パンツを脱いだ状態でTシャツを着ているのと、どっちが違和感あるかなって。結局いつも最後にぐいっとトップスを脱ぐ。

 

子供用のおもちゃが風呂場の入り口脇にある。子供はその中からいくつか選び取る。「そのくらいでもういいよ。」

子供用のものが用意されていることへの、感謝と尊敬。レストランに置かれた子供椅子の優しさ。いつも、子連れの肩身は、ひどく狭い。

 

すっぽんぽんになってすぐは、ちょっとだけ猫背になる。密度の低い場所に席をとって、体を流す。そのうちに子供は早速挨拶回りを始める。

 

いつメンの女性たち。顔見知りの全員が、私の母より年上である。だからわざわざ年齢のわかるような呼び方で区切る必要はない。祖母の世代前後が多い。母親世代の何やら強気なイケてる人もいる。味方にいて欲しく、決して敵にしたくないタイプ、の、パーマがかかっている。ごっついスタイルが良い人である。和の中心となるボス(おおらかなる、あくまで陽気な)は、もうだいぶ小さくなっている。小さいけれど、大きな華である。初めて行ったその日から、するりと彼女の傘下に入ったような感覚があった。嬉しかった。

 

はちゃめちゃに熱い。「あっちい!無理だ〜」なんてぐずぐず言っていると、ボスから毎度、「あっち側がぬるいからあっちから入れ」とか「さっきお湯が変わったばっか」とか言われる。言われるためにぐずっているだけ。

 

いつメンの一人、ふわりと柔らかい顔の方も熱がりで、腰を落とせず一緒に突っ立っている。子供は割と熱さに強い。「すごいね〜、よく嫌がらずに長く入れるもんだ。」

 

時々入浴剤で色が楽しくなっていたりする。季節によってゆずが入ったり。

 

風呂場の中のことなどあんまり書くことがない。長く入っていられないし、おそらく18時は多少遅刻気味で、いつメンたちが先に上がって行くので、追いかけるように私たちも上がってしまう。1750分を狙うと良いだろうと思うけど、ルーティーンを崩すの、嫌だな。どちらかというと、誰かにとっての「18時にくる親子」になりたい。

 

「はいはいよく拭いて」

 

浴室から上がったその場でまずはよく拭きましょう。

それでもロッカーの方まで行くと「あら全然拭けてないじゃないの!」

 

脱ぐのはどんどん済ませるのに、着るのはタラタラ進まない。のぼせているっていうのもある。

 

ロッカーはいつも溜まり場の真横を選ぶから、最低限着替えてソファに腰掛ける。長方形のローテーブルを挟んで、2台の長ソファ。ぼーっとしながら、なんでもないことを話す。いつメンたちは、皮膚科のジャーに入った軟膏や、何やらスースーするものを腰に塗ったり貼ったり、手伝いあっている。子供はパンダ銭湯という絵本を毎度読んでいる。絵本がそれしかないもんで。

 

子供は番台の前に売っているジュースを欲しがる。ジュースがあれば欲しがるのが子供の仕事である。なんか、なんか、リンゴジュースより、いちごオレよりマシな気がして、いつもR-1を飲ませている。何がマシなんだよ。時々ポカリスエット。どうしても自分が飲みたい時はオロナミンC。プッハー、という、気持ちで飲む。

 

「もう帰りたくないよ」「ご飯はもう作れません」

なんてこぼしながら、いつメンと天気に文句つけたり、テレビを見たりする。

 

そのうち「髪乾かしなさい!」とボスに怒られるので、一回ぐずってから、念押しを待って渋々乾かしに行く。20円で3分。2分で飽きるので、早く終われや、といつも思う。髪をばっさり切ったので、早く会いに行きたい。髪を乾かしなさいと言われなかったらしんどい。欲しい。

 

みんなそれなりにソファに居座っている。後からきたお客さんも、半数以上はボスに挨拶する。先に帰る人も挨拶していく。ボスというと嫌味かもしれないが、存在としてはお地蔵さんみたいなもんである。

 

お地蔵さんが腰を上げたらいよいよ私たちも帰ることにする。もうのぼせきって勘弁なので、お弁当を買って帰る。

 

家の北側に、名前を知らない家族を持つ感じ。あんまり褒められたりしない。感じよくせっつかれるだけで、それがいい。彼女らがほんのり私たちのことを好きだというのが分かる。大変に幸せである。

 

ずっと年上の「女性」に囲まれている。私は彼女らをほんのりリスペクトしている。その裸の背中に、雌とは全く違う意味で、ああなりたいなと、確かに段差を感じるものである。とても大切な場所と人たちなんだけど、ある日誰かがかけたとしても、寂しくない。そのくらい、揺るぎのないもの。